境内のご案内と箱根全山の神社

境内のご案内

名称の枠内をクリックしていただきますと、境内神社と諸施設のご案内画面が開きます。

境内駐車場 周辺の駐車場 休憩所・お手洗い・喫煙所
手水舎・清めの湯・参拝道 社務所・御祈祷受付・結婚式場・神楽殿 お札所(御守)・御神印受付・納札所
宝物殿・武道場・研修殿
箱根神社 九頭龍神社(新宮) 龍神水・成就水盛
駒形神社 高根神社 曽我神社
恵比寿社(箱根七福神) 弁財天社 神輿庫
第六神社 日吉神社 殉国学徒慰霊碑
万巻上人奥津城 歴代別当奥津城
第一鳥居 第二鳥居 第三鳥居
第四鳥居 第五鳥居 平和の鳥居
神山・駒ケ岳・芦ノ湖 昭和天皇行幸啓碑 明治天皇行幸啓碑
矢立の杉(御神木) 安産杉(御神木) けけら木(御神木)
姫沙羅純林(天然記念物) 三匿開運の碑 吉田松陰碑
舟庫 奉祝記念事業完遂之碑

境内駐車場のご案内

駐車場内は一方通行となっておりますのでご注意下さい。
バスは第2駐車場をご利用下さい。
交通安全のご祈祷で車のお祓いをお受けの皆様は第3駐車場まで車をお進め下さい。但し、この道は許可車両専用で、交互通行になっておりますので、通行には充分ご注意願います。

箱根町元箱根内と箱根町箱根内の駐車場案内です。
地図内の駐車場には、有料駐車場も含まれています。
手水舎は三ヶ所ございます。お参りの前に心身を清めましょう。
手水舎
正参道石段前、第四鳥居の横にございます。
お参りの前に心身を清めましょう。
龍神水・成就水盤
龍神水・成就水盤の詳細は、メニュー「御祈祷と御守・御神印等授与品」を開いてご覧下さい。

清め湯

社務所の玄関右横にございます。
祓い清めてお蔭をいただきましょう。

*参拝道は次の通りです。
①正参道
老杉に抱かれた清々しい景観の参道です。程良い踏み高の石段を90段ほどお進み下さい。見た目より簡単に登れますよ。

②脇参道
森の小道をのんびり進む階段の無い参道です。

③車椅子の方は

宝物殿からエレベーターでお進み下さい。第3駐車場もご利用ください。

④足のご不自由な方、車椅子の方は
第3駐車場をご利用下さい。第3駐車場への道路は許可車両限定の道で交互通行ですので、通行にはご注意願います。
交通安全祈祷の方もこちらから車をお進め下さい。

社務所

*御祈祷の受付を始めて、御祈祷や結婚式のお申し込み等、箱根神社に御用の方は、こちらからお入り下さい。
社務所入口)

受付窓口

*御祈祷受付は玄関ロビーの左にございます。
御祈祷受付)
*御祈祷のお申し込みや、御守・御神印等の詳細は、メニュー「御祈祷と御守・御神印等授与品」を開いてご覧下さい。

儀式殿・結婚式場

*奉祝事業で新築された結婚式場は、神殿を始めて殿内の部材には境内で育った杉木が御用材として使われています。
(←結婚式場)
*結婚式や地鎮祭などのお申し込みや、式次第等の詳細は、メニュー「神前結婚式・地鎮祭・武道場など」を開いてご覧下さい。

お札所(御神札・御守・御神印の授与所)

*お札所は、参道石段を挟んで上と下の二ヶ所にございます。
①御社殿前のお札所。神門をくぐってすぐ左にございます。
西脇舎)

②正参道石段横のお札所。石段登り口に建つ、第四鳥居の左横にございます。
(←南脇舎)

御神印は南脇舎で受付けております
*お参りの前にお申し込み下さいますと、ご参拝の間に記帳捺印して、お帰りの際にお渡し致します。

◆御神印は四社ございます
*箱根神社
*九頭龍神社
*箱根七福神恵比寿社
*箱根元宮
一社500円をお納め下さい
*元宮の御神印につきましては、元宮へ登拝開所の日は元宮で行っております。登拝開所の日以外に、元宮へご参拝いただいた方には、箱根神社で行いますのでお申し出下さい。

神恩に感謝し、参拝証としてお受けいただく箱根神社の神印帳です。
*御神印帳初穂料1,500円の中には、一社分の御神印が含まれています。

納札所

*納札所は九頭龍神社(新宮)と安産杉の間にございます。
古いお札は、感謝の真心を込めて納札所にお納め下さい。尚、金属や陶器等の人形やガラスや金属等のケースその他はお断りしておりますので、ご了承願います。

神楽殿

*社務所入り口左にある神楽殿では、節分祭の追儺式を始め、夏の例大祭の神賑行事など年間を通じて色々な行事が行われています。令和の御大典・御鎮座1265年を奉祝する記念行事の一つとして、神楽殿天井に墨画「九頭龍」が日本画の巨匠中野嘉之画伯より奉納されました。

宝物殿

箱根神社宝物殿は、宝物資料の収蔵展示を目的に明治40年(1907)に開設された博物館施設で、平成19年(2007)正月元旦御鎮座1250年・宝物殿開設100周年を記念して新築・開館されました。
1階入口が受付です。
2階に常設展示館があり、3階で特別企画展を開催しております。

開館時間

午前9:00~午後4:30(入館は午後4時まで)
年中無休 (展示替等の為臨時休館あり)

拝観料

個人
   大人(中学生以上)500円
   小人(小学生)  300円
団体(25 名以上)
   大人(中学生以上)350円
   小人(小学生)  200円
*箱根神社は重要文化財に指定された宝物をはじめ数々の貴重な宝物資料を収蔵しています。
*宝物資料等の詳細は、メニュー「宝物や文化財」を開いてご覧下さい。

武道場
*武道場は、箱根大神の威徳を崇め、武道を通して心身の鍛錬、誠実なる人格の陶治訓育を行い、以て青少年の教化育成に寄与することを目的として建立されました。
*武道場や使用申し込み等の詳細は、御祈祷メニュー「武道場の使用申し込みについて」を開いてご覧下さい。

研修殿

第三鳥居をくぐって参道を進むと、左側にございます。

箱根神社 九頭龍神社(新宮) 龍神水・成就水盛
駒形神社 高根神社 曽我神社
恵比寿社(箱根七福神) 弁財天社 神輿庫
第六神社 日吉神社 殉国学徒慰霊碑
万巻上人奥津城 歴代別当奥津城

箱根神社

九頭龍神社(新宮)

*由緒等の詳細は、メニュー「箱根神社・九頭龍神社・箱根元宮について」を開いてご覧下さい。

*龍神水・成就水盤の詳細は、メニュー「御祈祷と御守・御神印等授与品」を開いてご覧下さい。

御祭神
高皇産霊尊たかみむすびのみこと 神皇産霊尊かみむすびのみこと 天照皇大神あまてらすすめおおかみ 鸕鶿草葺不合尊うがやふきあえずのみこと 豊玉比売命とよたまひめのみこと 櫛御毛奴尊くしみけぬのみこと 誉田別尊ほむたわけのみこと
例祭日
九月十九日

由緒
社伝によれば、古来「駒形権現こまがたごんげん」と呼ばれ、箱根神社創建の頃から奉斎されていた駒形権現(駒ヶ岳の山神) と能善のうぜん権現(冠ヶ岳の山神) の神々、さらに明治期に合祀奉斎された神明社と八幡社の神々を相殿に祀る社です。
奈良時代、駒形 能善の両社は既に本社に次ぐ摂社として崇敬を集め『筥根山縁起并序』には長寛二年(1164)五月十六日能善駒形神殿を再興とあるほか 寿永年中 鎌倉幕府を開いた源頼朝は、駒形神を国家鎮護と為して伊豆・奈古谷に勧請 元暦二年(1185) には駒形権現の拝殿を再興したとあり、昔から開運守護 産業開発 交通安全の神として知られています。

御祭神
稲倉魂大神うかのみたまのおおかみ 天宇受賣命あめのうずめのみこと 天太玉命あめのふとだまのみこと 天児屋根命あめのこやねのみこと 菅原道真朝臣命すがわらのみちざねあそんのみこと 大山祇命おおやまつみのみこと 乙橘姫命おとたちばなひめのみこと
例祭日
十月十七日
由緒
江戸時代、駒形能善高根権現合殿に祀られていた「高根権現たかねごんげん」の神と明治期に合祀奉斎された稲荷社 天神社 春日社 山神社 吾妻社の神々を相殿に祀る社です。昔から家内安全 商売繁昌はもとより学業成就 芸能上達の社として多くの人々の信仰をあつめています。
御祭神
曽我十郎祐成之命 曽我五郎時致之命
例祭日
5月28日(傘焼神事)

由緒
曽我神社は、鎌倉時代、箱根権現の稚児であった曽我五郎時致と、兄十郎祐成の霊を慰めるため「勝名荒神祠」としてお祀りされたのが始まりです。
江戸時代の正保四年(1647)小田原城主稲葉美濃守正則が石造の本殿を造営し、また平成の御代に社殿を改修しました。祥月命日には故実による傘焼の神事や、居合道の奉納等が行われ、今日なお心願成就の守護神として崇敬されている神社です。

曽我兄弟は、幼名を兄十郎は一萬、弟五郎は筥王と称しました。安元二年(1176)兄弟が5歳、3歳の時、同族間の所領争いが因で、実父河津三郎祐泰が工藤祐経に討たれるという不幸に遭遇します。
母満江御前は兄弟の身に危険の及ぶことを恐れ、曽我祐信(相模国曽我荘主)と再婚したので、兄弟も曽我姓を名乗り、やがて兄一萬は成人元服して十郎祐成と改めました。
弟筥王は実父の菩堤を弔うべく箱根権現別当の行実僧正の下に預けられ稚児となりましたが、孝心やみがたく権現の森の奥深く、杉の木を相手に秘かに武術に励みました。(五郎が稽古に励んだ杉は兄弟杉と呼ばれています・写真下)

文治三年(1186)正月、源頼朝の箱根権現「二所詣」に従い、参列した仇工藤祐経を眼のあたりにした筥王は、復讐の念に燃え隙を窺ったが果せず却って祐経に諭され、赤木柄の短刀を与えられました。 建久元年(1190)17歳になった筥王は、出家を嫌い無断で箱根山を降り、元服して五郎時致と名乗り、兄十郎祐成と共に仇討を決意しました。
建久四年(1193)5月16日、心願成就祈願のため箱根権現に参拝した兄弟は、別当行実僧正から、門出の祝儀に宝刀の微塵丸、薄緑丸を授けられます。折から源頼朝に従って大巻狩中の仇敵工藤祐経を求め富士の裾野へ向いました。そして遂に5月28日夜半、工藤祐経を陣屋に襲って倒し、先年与えられた赤木柄の短刀を以って止めを刺し、仇討本懐を遂げたのです。
この時、兄十郎は戦死し、弟五郎は捕えられました。翌29日、五郎は頼朝の面前で堂々と仇討の真意をのべ、居並ぶ鎌倉武士を感嘆させたが、惜しまれながらも遂に斬首されました。時に十郎は22歳、 五郎は20歳でありました。
播州・赤穂義士の主君仇討と共に兄弟の孝心、忠節は武士の鑑と仰がれて神社に祀られると共に、多くの文芸や物語に語り継がれ、今日尚その誠烈な気風を慕う人々に尊崇されています。

居合道全国選抜八段戦箱根大会

曽我神社の例祭当日には、向いの武道場で居合道最高位「範士」の称号を持つ八~九段剣士が全国から参集し、武士道を打立て孝心の鑑と仰がれる曽我兄弟と、武家の憲法「御成敗式目」起請文の筆頭にその名が挙がる箱根の大神様への奉納試合が行われます。
それが、居合道界至宝の大会「居合道全国選抜八段戦箱根大会」です。平成5年、曽我兄弟800年大祭を記念してはじまり、第25回を迎えて現在、休止となっています。
曽我神社例祭当日、宝物殿では兄弟ゆかりの重要文化財「赤木柄短刀」を始め、「微塵丸」「薄緑丸」両宝剣の特別展示が予定されています。

御祭神
事代主神(ことしろぬしのかみ)
例祭日
1月10日

御祭神
市杵島姫神(いちきしまひめのかみ)
例祭日
4月15日

由緒(箱根山七福神の由来)
恵比寿神は、商売繁昌、大漁満足(航海)の神、愛敬富財の福徳が授かる神ですが、弁財天や第六天社もまた福徳円満、商売繁昌の神と崇敬されています。
箱根神社は、古来関東における山岳信仰の霊場で山紫水明、風光明眉な箱根山の根源主宰神として奈良時代の末、天平宝字元年(757)万巻上人により、現在地に 奉遷鎮斎(ほうせんちんさい)されました。爾来当神社は、仏教とりわけ修験道習合の影響が強く、箱根山に入峰修練する山伏等が崇敬、 跪拝(きはい)しましたが、その境外末社に祀られる九頭龍大神(くずりゅうおおかみ)や 蓑笠明神(みのかさみょうじん) 、堂島弁財天や第六天神社もまた、強く信仰されました。
これらの神社は明治維新の神祇制度変革(神佛分離、修験道の廃止等)により、秘かにおまつりされて来ました。近年漸く九頭龍神社が整備され、祭祀の興隆が著についたのを契機に、これら神社の復興が謁望され、茲に御社殿を建立し、二神を各々奉斎して御神徳の宣揚を期すこととなりました。
因みに弁財天社はかつて堂ヶ島に、恵比寿神は箱根町の蓑笠明神社に、そして第六天神社は元箱根と、それぞれに鎮祭されていましたが、時遷り世変り僅かにその名残りを留めるのみとなり、祭祀の復興がまたれていたものです。
この由縁により新しく勧請されました箱根七福神は元箱根の興福寺、箱根町の駒形神社、芦の湯の弁財天社を始め箱根山の霊場を巡っての巡拝で賑っています。

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*参道石段下、第四鳥居の後ろにございます。夏祭りに出御する御鳳輦と大神輿が納められています。

御祭神
淤毋陀琉神(おもだるのかみ)
例祭日
1月1日

由緒
御祭神淤母陀琉神は神代の昔、天神(あまつかみ)の第六番目に誕生された生殖力の旺盛な神ですが特に殖産興業・商売繁昌の守護神と敬仰されています。
箱根神社は古来関東における山岳信仰の霊場として崇められ、奈良時代の末、万巻上人(まんがんしょうにん)により現在地に奉遷されました。
爾来、箱根山に入峰修行する多くの修験者(山伏)等が 跪拝(きはい)した九頭龍大神や弁財天と共に崇め奉り厚い信仰を受けましたが、明治維新の神仏分離以来ひっそり奉斎されています。

御祭神
大山咋神(おおやまくいのかみ)
例祭日
4月14日

由緒
古くは山王社、山王権現と称されましたが、明治元年の神仏分離以降、現社号「日吉神社」に改称されました。御祭神大山咋神は箱根神社鎮護の神・地主神として尊崇されています。

夏に神道、仏教、立正佼成会合同による英霊感謝祭が行われます。
浄土真宗の開祖親鸞聖人は、文暦元年(1234)箱根を越えて帰洛の途次参詣し、自作像を本社に納めました。
慰霊碑の親鸞聖人慈悲の像は、かって山中に親鸞堂があった所以により昭和39年に建立されたものです。

箱根権現中興開山 万巻上人(まんがんしょうにん)と歴代別当の奥津城(おくつき=お墓)は、北参道入口脇にあり、毎月24日午前9:00に月次祭が行われます。 月次祭はどなたでも参列出来ますので、ぜひお参り下さい。

ご希望の方は、箱根神社社務所(0460-83-7123)まで必ず御連絡願います。

下記各所のご案内

第一鳥居 第二鳥居 第三鳥居
第四鳥居 第五鳥居 平和の鳥居
神山・駒ケ岳・芦ノ湖 昭和天皇行幸啓碑 明治天皇行幸啓碑
矢立の杉(御神木) 安産杉(御神木) けけら木(御神木)
姫沙羅純林(天然記念物) 三匿開運の碑 吉田松陰碑
舟庫 奉祝記念事業完遂之碑

昭和天皇皇后両陛下行幸啓記念碑は、弁天池の畔に建っています。入江侍従長様の揮毫で、昭和57年12月に建立されました。
当神社は、箱根に離宮があったことからご皇室とのご縁も深く、明治・大正・昭和三代の天皇様に御親拝いただいています。
明治6年 明治天皇、昭憲皇太后
明治25年 大正天皇(皇太子殿下)
昭和51年 皇后陛下(東宮妃殿下)(上皇后陛下)紀宮内親王殿下
昭和55年 7月3日 昭和天皇、皇后両陛下
昭和56年 浩宮徳仁親王殿下(皇太子殿下)
 (現 今上陛下)

昭和天皇と箱根

昭和天皇皇后両陛下におかれましては昭和24年(1949)、箱根での「植樹行事ならびに国土緑化大会」ご臨席にあたり、当神社に幣饌料(へいせんりょう)を御下賜になられたのをはじめて、昭和30年の箱根行幸啓、また昭和41年の箱根神社御鎮座1200年式年大祭、以後三度に亘る県下への行幸啓に際しても幣饌料を御下賜になられました。
写真は「植樹行事ならびに国土緑化大会」での御手植え桧です。場所は記念植樹の会場となった箱根町湖尻地区にある野鳥の森から白百合台園地へぬける遊歩道脇にございます。

昭和55年(1980)の7月3日には、当神社への行幸啓を賜り、両陛下の畏き思し召しにより御神前に太玉串を供えての御親拝の栄に浴しました。

若きころ登りし山をなつかしみ
かへりみてゆく旅はたのしき

これは昭和55 年の箱根行幸啓に際して詠まれた御製です。昭和天皇は、幼少時から皇太子時代にかけて幾度も箱根で夏をお過ごし遊ばされました。
皇太子であられた大正時代にも、当神社に御拝遊ばされたほか、初めて登山電車が開通した際には御乗車を賜りました。その折々に箱根の山々で登山をお楽しみ遊ばされ、明星ヶ岳登山道には記念碑が建てられています。

昭和天皇と箱根の関係を語る上で、現在の恩賜箱根公園にあった「箱根離宮」の存在は重要です。明治6年(1873)8月20日に明治天皇が当神社に行幸され御親拝遊ばされた10年後、初代内閣総理大臣伊藤博文の勧めにより、神社対岸の旧社領・塔ヶ島に「塔ヶ島離宮」が完成し、23年には「函根離宮」と改称されました。(写真は、恩賜箱根公園に建つ離宮の面影を再現した2 階建ての洋館「湖畔展望館」)
和風の御殿と西洋風の建物とからなる美しい離宮は、芦ノ湖と富士山が織なす日本一の景観を誇り、明治、大正、昭和の天皇御三代にわたり愛され、多くの皇族方や賓客のご来遊とともに箱根との御縁も深まりました。 若き日の夏、御父君とお過し遊ばされた楽しい思い出多き地が箱根であり、冒頭の御製によく表れています。

明治天皇の御参拝と芦ノ湖の漁撈

箱根山草創以来皇室の崇敬を受けてきた当神社には、近代百年の間に三代の天皇陛下に御親拝をいただいています。
明治維新の大業が成り、明治となって都が東京に遷されると、東海道の往還が盛んとなり、当社への崇敬はいよいよ高まりました。

明治6年8月20日、明治天皇と皇后(昭憲皇太后)が当社に行幸・行啓になり、神饌幣帛料を献じて、親しくご参拝されました。この時、両陛下は地元民が芦ノ湖で漁撈する姿を湖岸に立ってつぶさに御覧になられた処に記念碑が建立されています。また、御晝食を差上げた松坂屋さんには駐輦碑が建てられています。

背景に奥宮の鎮まる駒ケ岳を仰いで、元箱根の入口に建つ第一鳥居は、皇太子殿下(今上陛下)の御成婚を奉祝して、平成5年12月に建替えられました。

この鳥居は国道1号線をまたぐ鳥居では、日本一の大きさを誇ります。写真上の行列は節分祭で第一鳥居から参進を始めます。
写真下は正月恒例のおなじみの風景です。箱根駅伝では、数多の選手が第一鳥居を駆け抜けます。

皇太子殿下(今上陛下)の御成婚を奉祝記念して、平成5年12月に建替えられた第一鳥居と共に船庫と太鼓橋が新築されました。

門前町元箱根の奥に建つ第二鳥居。第二鳥居の横にもバス専用と乗用車それぞれの参拝者駐車場がございます。

=鳥居の持つ意味=

清浄な神霊の鎮まります聖地と、日常の生活をする俗世間とを区別する境界にあり、神域を示すものです。箱根神社の鳥居の形式は、明神(みょうじん)鳥居ですが、湖上に建つ平和の鳥居だけは、両部(りょうぶ)鳥居で建てられています。

第二鳥居を潜って暫く進むと境内参道に入ります。参道入口には第三鳥居が建ち、最初の石段を登るとその先は老杉に囲まれた平坦な参道が続きます。第三鳥居左横の車道を進むと、すぐ右側に駐車場入口がございます。

手水舎横の第四鳥居から見る、90段の正参道石階段は圧巻ですが、石段は程良い踏み高で、思ったより楽に登れます。
中程左側の曽我神社にお参りしながら、老杉に囲まれた石階段をのんびりお進み下さい。

石階段を登りきると、森の中に朱色が映える権現造りの御社殿が現れます。

湖上の鳥居は、上皇陛下の立太子礼と日本の独立(講和条約締結)を奉祝記念して昭和27年に建立されました。
昭和39年に至り、御鎮座1200年と東京オリンピック開催を奉祝記念し、「平和」の扁額が掲げられました。
揮毫は、講和条約の全権特命大使として調印した吉田茂元首相の真筆になるもので、それ以来「平和の鳥居」と呼ばれ親しまれています。

第五代孝昭天皇の御代(2400有余年前)聖占上人が箱根山の駒ケ岳より、同主峰の神山を神体山としてお祀りされて以来、箱根山は関東における山岳信仰の一大霊場となりました。

清らかな箱根権現御手洗の池と称えられる芦ノ湖に映える朱塗りの鳥居と富士山

駒ケ岳からの芦ノ湖眺望

御社殿裏山に姫沙羅(ひめしゃら)純林があり、御社頭前庭からよく見えます。
本州最北の群生林として県の天然記念物に指定されており、ツバキ科のナツツバキ属です。
社頭庭上から後ろの森を仰ぎ見ると、赤茶色のスベスベした木肌を持つ枝先の細かい木が姫沙羅です。

6月中旬から7月中旬にかけてつける純白の可憐な花は枝葉に隠れて見えませんが、散った花は木々の根本に雪のように積もり、とても涼やかで 箱根の夏の風物詩のひとつに数えられています。

*当神社では、この御神徳に因んで矢立の杉をデザインした「何事にも打ち勝つ!」「所願成就・心願成就」祈願の「勝守(かちまもり)」を授与しています。
どうぞお受け下さい。

=安産杉の由来=

樹齢千年を超えるこの大杉は「安産杉」と呼ばれる御神木です。 遠い神代の昔、高天原から光臨された皇孫 瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が、この地上で初めて出会った容色婉女な木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと・富士山の神様)と結婚されて、日継の皇子 彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)が健やかに誕生されたという、当神社三柱の御祭神の神話に由来します。

古来、この大樹の根幹は健全なる母胎の象徴とみなされて、子孫繁栄を祈る子授け・安産の杉と信仰され、武家や庶民の間で「安産祈願は安産杉」と盛んにお参りが行われるようになりました。
鎌倉幕府を開いた源頼朝は当神社をたいへん崇敬し、毎年「二所詣」(箱根伊豆二所権現の参詣)を続けておりました。鎌倉幕府の正史『吾妻鏡』には、養和二年(1182)8月11日夜、夫人の北条政子が産気づくと、頼朝は奉幣使を当神社に派遣し安産祈願を行なったことが記されており、翌日に頼家(二代将軍)が無事誕生したことを伝えています。
また建久三年(1192)8月9日、頼朝は当神社に神馬を奉献して政子の安産祈願を行ない、實朝(三代将軍)が無事誕生したことも記されています。
どちらも当神社での安産祈願の折には、安産杉へのお参りも必ず行われております。

「けけら木」は、芦ノ湖中にある湖底木の中のひとつでしたが、年に一度の大御祭である湖水祭・例大祭の翌日、この地方を襲った台風の影響により、荒れた芦ノ湖中から浮遊して来たもので、箱根の大神の神力を得た万巻上人が、毒龍調伏の折にこの木につなぎ、芦ノ湖の守護神「九頭龍神」を誕生させた逸話に出てくる「栴檀伽羅木」であろうと、当神社境内に遷されたものです。
九頭龍神を繋いだとの由縁から、結びの信仰が生まれ、御神木として「縁結び祈願」のお参りが行われるようになりました。
「けけら木」は、上記の通り湖水の心なる木ゆえ に「こころ木」ともいわれ、鎌倉幕府三代将軍源実朝公が当神社に初詣した恒例の「二所詣」の折に詠んだ和歌にも詠われています。

たまくしげ 箱根のみうみ けけれあれや
ふた国かけて なかにたゆたふ
(歌中の「けけれ」は上代東国の方言で「心」の意)

源頼朝三度大難を免かるの記石碑

当神社の手水舎前の石碑には、石橋山の合戦で敗走した源頼朝が、日頃の信仰により土肥の椙山、しとどの岩窟、箱根神社にて三度大難を免れたことが記されています。

源頼朝三匿開運の開運印籠御守

源頼朝が三度の大難を免れた故事に因んだ厄除開運の御守です。裏面には、源氏の家紋である「笹竜胆ささりんどう」が描かれています。

幕末の思想家・教育者、吉田松陰よしだしょういんが詠んだ和歌です。
松陰は長門萩藩士・杉百合之助常道の次男として生まれ、天保六年、叔父で山鹿流兵学師範であった吉田大助賢良の死により、六歳で吉田家を嗣ぎ兵学と経学を学びました。

天保十年、十歳の若さで藩校明倫館にて家学を教授。翌年、僅か十一歳にして、藩主毛利敬親の御前で『武教全書』を講じ称賛されました。
松陰は常に海外事情に意を用いたといわれ、後に松下村塾を主宰し、高杉晋作・久坂玄瑞くさかげんずい・伊藤博文・品川弥二郎・山県有朋やまがたありともら幕末に活躍した多くの門下を育てたことは周知の通りです。
安政六年、松陰は幕府の命により江戸に召喚されます。所謂いわゆる安政の大獄であります。松陰は、この江戸送りを前に野山獄のやまごくでの獄囚生活を共にした高洲久子たかすひさこから餞別せんべつの「汗ふき」を贈られました。
この和歌は、松陰との永遠の離別を予感して贈った久子の女心に答えるが如く、松陰が久子への想いを込めて詠んだもので幾度となく箱根山を越えた松陰が箱根を詠んだ唯一の和歌であり、この和歌碑は境内湖畔に建立されています。

天皇陛下御即位三十年
令和之御大典
御鎮座一二六〇年

を奉祝して行われた記念事業完遂之碑

鎌倉時代に制定され江戸時代まで重用された武家社会の基本法典「御成敗式目」の第一条に「神社を修理し、祭祀を専らにすべきこと」と定められています。「御社殿をそして境内を整え、神祭りをしっかりやらなくてはいけません。そうすることで神々の御加護のもと、日本の国の発展と、国民の幸福はいつまでも続くのですから」と云うものです。
そして「御成敗式目」には、第一条の「神社を修理し、祭祀を専らにすべきこと」に続いて、「神は人の敬によりて威を増し、人は神の徳によりて運を添ふ」という名言が続きます。
この言葉は「神様は私共の尊崇・感謝と祈願をお受けになられて御威光を輝かされ御神威を高められます。私共は、力を増された神様の御神徳、即ち、生きる力・元気の源をいただいて幸せに進んで行けるのです。」と、云うもので、神社や家庭でのお祭り、お参りは、正にこの言葉を具現しているのです。
御成敗式目の巻頭に記され、誓願神社の最初に名を連ねる当箱根神社も、式目第一条「神社を修理し、祭祀を専らにすべきこと」に倣い、平成24年より5期7年に亘って天皇陛下御即位30年・令和之御大典・御鎮座1260年奉祝記念事業に邁進し、皆様方の大きなご支援とご協力のもと共に歩みをお進めいただき、お蔭様にて、御本殿瑞垣の御造替、廻廊造営と幣殿の増設、九頭龍神社新宮拝殿御造営、九頭龍神社本宮を始めとする摂末社の御造替・御修造、社務所・儀式殿・斎館・神饌所の新築、待合殿新設、研修殿の改装、第2駐車場の造成から休憩所とお手洗三ヶ所の新築等々、主要諸施設及び境内全域の整備が整い、令和元年6月27日の佳日に奉祝祭を斎行し、めでたく完遂することが叶いました。これも偏に皆様との歩みが神々の御神慮に添い得ていただいた、御神徳の賜物と深く感謝申し上げ、ご一緒にお進みいただきました皆様方に、衷心より厚く御礼申し上げる次第でございます。
次の境内整備造営事業は、御鎮座1265年(令和4年)の佳年に、参道の燈籠建替と絵馬殿の造替を始め更なる境内整備、諸施設の御造替等々を考えておりましたが、老朽化が著い参道燈籠・絵馬殿の詳細な調査をした結果、一刻を争う危険な状況である事が判明致しました。また、平成30年10月の台風19号による境内地4ヶ所の崩落被災も重なったことにより、引続き新たな御大典奉祝記念事業として、崩落地の復旧並びに参道他各所の治水工事等の境内整備と次期に予定しておりました諸施設の造替も含めまして計画を進め、お願い申し上げている次第でございます。また、本事業を奉祝記念して、日本画の巨匠中野嘉之先生から、九頭龍神社新宮拝殿天井へ墨画「九頭龍」、箱根神社拝殿天井に「箱根の花鳥図」を献納いただくこととなり、一層の奮起奮闘を誓願する処です。
皆様には、継続してのご奉賛のお願いにて誠に恐縮に存じますが、新たな奉祝記念事業の完遂に向けて格別なるご高配を賜り、赤誠溢るゝ真心で、ご一緒に御社殿・境内を整え、神祭りを奉修して日本の国と国民の安寧発展をご祈念下さいますよう、令和之御大典奉祝記念事業ご奉賛のお願いを申し上げます。

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