箱根山に鎮座する神社のご紹介

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鎮座地 箱根町箱根芦川290番地
御祭神 駒形大神(天御中主大神・素戔嗚尊・大山祇神)
例祭日 8月3日
鳥居焼まつり 8月5日

駒ヶ岳を仰ぎ見る芦ノ湖南岸に鎮座する駒形神社は、駒ケ岳の地主神である駒形大神を祀る神社です。
古くは「駒形権現」「荒湯駒形権現」と呼ばれ、その淵源は遥か悠久の昔、駒ヶ岳の山岳信仰に遡ると云われ武門の崇敬を集めた箱根神社の社外の末社として崇敬されてきた箱根町箱根の鎮守様です。
明治の初年、神仏分離によって権現号は廃され駒形神社と改称されました。境内には箱根七福神のひとつ毘沙門天社をはじめ、その昔村人を悩ませた狼退治に功績のあった唐犬を祀る犬塚明神社や三島明神の伝承を伝える蓑笠明神社が鎮座しています。
平成24年から10年の歳月を懸けて行われた、御社殿御修造境内整備事業が令和4年8月3日めでたく完遂し例祭に併せて奉祝祭が盛大に斎行されました。
毎月3日には月次祭が行われていますので、ぜひご参列下さい。
*詳細は駒形神社ホームページをご覧下さい。
http://komagata-jinja.jp/
鎮座地 箱根町畑宿上野山102番地
御祭神 駒形大神(天御中主大神・火産霊大神・大山祇神)
例祭日 1月18日

「美しい木製品で有名な畑村」と博物学者シーボルトが称賛した箱根寄木細工の里に鎮座する駒形神社は、畑宿地区の鎮守として篤く崇敬されています。
古くは「駒形権現」と呼ばれ、駒ヶ岳の地主神である駒形大神を勧請した神社と云われています。江戸時代の東海道の様子を描いた『東海道分間延絵図』には畑宿の街並みの中心に当神社が描かれています。『石巻家貞副状』(相州古文書)によれば、戦国時代この地方を治めた北条早雲から諸役免除の朱印状が下附され手厚く保護されていたことが知られ、この朱印状は必ず当神社に入れ置くことが命じられていました。
例祭は毎年1月18日に斎行。境内には照心神社、菅原神社、太子堂が鎮座しています。
鎮座地 箱根町須雲川105番地
御祭神 駒形大神(天御中主大神)
例祭日 1月18日

当神社は「箱根霊験躄仇討」で有名な、飯沼勝五郎初花夫婦の伝説が今に伝わる須雲川地区の鎮守です。古来、「駒形権現社」と呼ばれ、芦川の駒形神社や畑宿の駒形神社と同様に駒ヶ岳の地主神である駒形大神を勧請した神社です。
当神社は箱根旧街道から神社石段を登った高台に鎮座し参道脇には江戸時代に建立された多くの石碑が伝えられています。
江戸時代の『新編相模国風土記稿』によれば「駒形権現社 村ノ鎮守ナリ。例祭正月十八日ナリ。鎖雲庵持。末社午頭天王稲荷」と記されています。
下の写真は、御屋根葺替御社殿修造事業完遂奉祝祭。平成18年7月17日にめでたく斎行されました。
鎮座地 箱根町湯本茶屋64番地
御祭神 大山祇命
例祭日 1月17日

山神神社は、湯本茶屋地区の鎮守として稲荷山の中腹に鎮座しています。
当地区に伝わる古文書『貞享元甲子年改村鑑古帳之写』によれば「宝暦二壬申十月、山神社作候」とあることから、江戸時代の宝暦二年(1752)に建立されていることがわかります。また、「山神宮扁額裏書」によれば、寛政元年(1789)2月に本殿を建築したことが知られます。
当神社は明治6年に村社に列格し湯本茶屋地区の鎮守として篤く崇敬されています。
鎮座地 箱根町塔之澤123番地
御祭神 櫛御毛奴命
例祭日 5月15日

熊野神社は箱根七湯のひとつ塔之澤温泉郷に鎮座し、温泉の霊験著しい御祭神櫛御毛奴命がお祀りされています。
江戸時代の『新編相模国風土記稿』には「熊野権現社 村ノ鎮守ナリ」とみえるほか同時代の吉川惟足の『塔澤紀行』や服部嵐雪の『塔澤記』には当神社についての記述がみられます。
当神社は明治四十三年八月の大洪水に罹災するまで、「勝驪山」という小さな岩山の頂きに鎮座していました。
勝驪山とは徳川光圀が師と仰ぐ、明の儒学者朱舜水を伴い当地に訪れた際、舜水が景勝の美しさと温泉に感動し唐の玄宗皇帝と楊貴妃の愛した長安郊外にあった驪山の温湯に勝るとして名付けたと伝えられています。
鎮座地 箱根町大平台352番地
御祭神 大山祇命・木花咲耶姫命
例祭日 4月17日

山神神社は大平台地区の鎮守として氏子の崇敬篤く、その創建は室町時代の永禄年間まで遡ると伝えられています。
古くは山神祠、山神宮、山神社とも呼ばれ、江戸時代の文化元年(1804)の『切支丹宗門改帳』には「山神祠」、天保四年の『神社寺院御取調書上帳』には「山神宮」と記録されています。
江戸時代の『新編相模国風土記稿』によれば「山神社 村ノ鎮守トス」と記されており、境内には聖徳太子、浅間大神の神号碑や道祖神が祀られています。
鎮座地 箱根町底倉390番地
御祭神 櫛御毛奴命・菊理姫命・速玉命 事解男命
例祭日 9月15日

熊野神社は古く「熊野権現」と呼ばれ、昔から温泉守護の霊験あらたかなお社として信仰されてきました。
江戸時代の文化八年(1811)に書かれた箱根七湯の案内書『七湯の枝折』には、「此宮の下ハ筥根の山の半復にありて土地高く打ひらけたる所なり(中略)又爰にも熊野権現を勧請す」とあるほか、幕末の国学者橘守部の『箱根日記稿』には「此さとの岡の上に熊野ノ大神を斎ひまつれり。いと古き社なりといふ。かれ此さとを宮の下とはいふにこそ。京此宮まゐでてぬさ奉る。御湯も此神山よりながれ出れば、則神の賜ものなり。かれあさにけにぬさたてまつりて、箱根の大神をも、此岡よりたよせにをろがみ奉る」と記されており、「宮ノ下」の地名は、この熊野権現の宮の下という立地に由来することが知られます。社前には英訳『古事記』を著した英国の日本語学者バジル・ホール・チェンバレンの文庫「王堂文庫」の跡地が遺されています。
鎮座地 箱根町底倉284番地
御祭神 箱根大神(瓊瓊杵尊・彦火火出見尊・木花咲耶姫命)
例祭日 4月13日

当神社は芦ノ湖畔元箱根に鎮座する箱根神社の御分社で、一般には「宮ノ下の箱根神社」と呼ばれています。
旧宮ノ下御用邸(後に高松宮別邸)をはじめ多くの老舗旅館やホテルが建ち並ぶ温泉街に鎮座し開運守護の神様として多くの参拝者や観光客に親しまれています。
江戸時代の『新編相模国風土記稿』に「箱根権現社 村ノ鎮守ナリ。当村起立ノ頃ヨリノ鎮座ト云」と記されていることから、当神社は底倉村起立の頃から鎮守として崇められ、古くは「箱根権現社」と呼ばれていたことが知られます。
箱根権現社とは、明治維新の神仏分離以前の箱根神社の名称であり元箱根に鎮座する御本社の箱根神社はもとより、姥子に鎮座する箱根神社も当神社と同様に箱根権現社と呼 ばれていました。
現在の社殿は、昭和13年12月22日に再建されたもので、社殿の建立にあたっては高松宮宣仁親王殿下より特別な御配慮を賜ったと伝えられています。平成元年には、御社殿御屋根の葺替事業が氏子中の赤誠溢るゝ御奉賛によりめでたく執り行われました。
鎮座地 箱根町宮城野719番地
御祭神 建御名方命(たけみなかたのみこと)
例祭日 4月15日

箱根町宮城野に鎮座する諏訪神社は御祭神建御名方命がお祀りされています。
当神社が勧請された年代は定かではありませんが、およそ江戸時代の元和年間の創立といわれ、仙石原の諏訪神社 と共に有名な神事「湯立獅子舞」(国選択無形民俗文化財・神奈川県無形民俗文化財指定)が伝えられています。
湯立獅子舞とは獅子が演じる湯立神楽であり、獅子そのものが神の依代となって五穀豊穣、病魔退散を祈り、釜に沸かした清浄な湯を熊笹で振りかけ祓を行います。
記録によれば、宮城野湯立獅子舞は慶応二年(1866)7月、足柄上郡狩野村の鎮守厳島神社で奉納したことが知られるほか、明治16年(1883)には木賀温泉に宿泊した黒田清隆伯爵(後の内閣総理大臣)に披露しています。この宮城野湯立獅子舞を見て感激した黒田伯爵から獅子舞全員に鳴海絞の帯と扇子、金一封が贈られました。
また、同18年(1885)の夏に、箱根神社例大祭の神賑行事として御神前で奉納されたことも記録されています。箱根神社の例大祭では、現在でも宮城野湯立獅子舞と仙石原湯立獅子舞が隔年交互に奉納されています。例祭は毎年4月15日に斎行しています。
鎮座地 箱根町仙石原88番地
御祭神 建御名方命
例祭日 3月27日

箱根町仙石原に鎮座する諏訪神社は、地元では親しみを込めて「お諏訪さん」と呼ばれています。御祭神の建御名方命は国土開拓の神として知られ、長野県の諏訪大社の主祭神として広く崇敬をあつめています。
御祭神は戦国武将武田信玄が武神として熱心に信仰したことで知られており当神社はその御分社といわれています。
当神社の草創は定かではありませんが、江戸時代の『相州西郡西筋仙石原村かがみ』には当神社が記載されています。明治六年、当神社は仙石原の村社と定められました。
例祭では仙石原神楽保存会により「湯立獅子舞」(国選択無形民俗文化財・神奈川県無形民俗文化財指定)が奉納されます。
この獅子舞は宮城野湯立獅子舞と同様に、獅子が演じる湯立神楽であり獅子が神の憑代となって釜に沸かした湯を熊笹で振りかける魔除けの清祓を行ないます。
この湯立獅子舞は当神社の例祭のほか境外社である公時神社の例祭、さらには箱根神社例大祭でも宮城野湯立獅子舞と共に隔年交互に奉納されています。
鎮座地 箱根町芦之湯1番地
御祭神 家都美御子大神
例祭日 8月10日

熊野神社は、駒ケ岳の南山麓に位置する芦之湯温泉郷に鎮座するお社で、古くは「熊野権現社」と呼ばれていました。温泉の霊験あらたかな和歌山県熊野本宮大社の主祭神家都美御子大神がお祀りされています。江戸時代、芦之湯温泉は箱根七湯の筆頭として知られ、全国の大名や多くの文人墨客らが湯治に訪れました。
境内の東光庵旧跡には、往時を物語る太田蜀山人や松尾芭蕉の句碑、賀茂真淵の歌碑など数多く残されています。
鎮座地 箱根町仙石原1181番地
御祭神 坂田公時命
例祭日 5月5日

箱根の霊山のひとつ金時山の麓に鎮座する公時神社は、「金太郎」の名前で有名な坂田公時命がお祀りされています。
坂田公時は平安時代中期、源頼光の四天王と呼ばれた一人で、酒呑童子退治で活躍した勇猛な武将です。
その武勇は『今昔物語』や『古今著聞集』で知られますが、一般には童形で鉞を持ち金の字の腹掛姿で熊に跨がる「金太郎」としてたいへん親しまれています。
当神社は仙石原地区の鎮守諏訪神社の境外末社で、例祭は毎年5月5日の端午の節句に「公時祭」として盛大に行われており仙石原神楽保存会によって湯立獅子舞が奉納されます。
例祭当日には菖蒲や金太郎飴がお供えされて子供達の健やかな成長と安全が祈願されます。神社周辺には金太郎ゆかりの奇岩が多く、金太郎が手鞠にしたという「手鞠石」や金太郎が蹴落としたという「蹴落とし岩」、金太郎が住んでいたという「宿り石」などが伝承と共に残されています。 社殿の裏山に残る奥宮と呼ばれる岩上の小さな祠は公時神社の元宮です。
鎮座地 箱根町湯本431番地
御祭神 白山比咩大神・菊理姫命・伊弉諾命 伊弉冉命
例祭日 5月5日

当神社は社伝によれば、奈良時代加賀白山の泰澄上人の弟子浄定坊が白山権現を勧請し創建したと伝えられています。江戸時代の国学者北村季吟が湯本温泉に来遊した折に著した『湯もとの記』には、「相模国筥根温泉は白山妙理権現立たせ給へる処なれば、神力を加えへて諸病悉除のしるしをほどこし、この湯に浴すれば息災延命の楽、たもたずといふ事なし」と書かれているほか、『新編相模国風土記稿』によれば「白山社 湯本村及湯本茶屋村ノ鎮守ナリ。」と記されています。
鎮座地 箱根町湯本614番地
御祭神 熊野速玉命・大己貴命
例祭日 9月9日

箱根七湯のひとつ湯本温泉郷に鎮座する熊野神社は、温泉の守護神としてして信仰されました。古くは「熊野権現」と呼ばれ、「熊野」を音読みすると「ゆや」となることから「ゆや権現」とも呼ばれました。江戸時代の『新編相模国風土記稿』によれば「熊野社 湯場ノ鎮守ナリ。本地十一面観音像ヲ置。例祭九月九日」と記されています。
当神社の周辺は昔から「湯場」、「湯谷」と呼ばれ、神社裏山の湯坂山から豊富に湧き出る温泉に恵まれたことから、江戸期の『七湯の枝折』には、戦国時代北条氏綱や氏康が入湯していたことを伝えています。例祭は毎年9月9日に斎行。祭典では御神前に温泉水を奉献する湯汲神事が行われています。
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